大津神社
古代、水運にかかわっていた渡来系氏族・津氏一族の氏神。茅の輪をくぐって安全を祈願する、夏越しの祭りで知られている。
近鉄南大阪線 高鷲駅下車 南へ約50m 高鷲8丁目
河内大塚山古墳
墳丘長335m、後円部の径185m、前方部の幅230mで、幅35〜70mの濠を持つ。全国第5位の規模を誇る大きな墳丘で、前方後円墳としては最終段階の形態をもつ。
近鉄南大阪線 恵我ノ荘駅下車 西へ300m 南恵我ノ荘8丁目
吉村家住宅
民家として日本で最初の重要文化財に指定された、書院造様式を残す建物で、独特の風格と美しさをもっている。長屋門、武者窓、土間、座敷など見るべきところは多い。
近鉄南大阪線 高鷲駅下車 北へ約900m 島泉5丁目
野中寺
聖徳太子と蘇我馬子の建立と伝えられ、「中の太子」と呼ばれている。現在でも境内には、塔跡や金堂跡など飛鳥時代の伽藍の一部が残っており、国指定の史跡になっている。方丈や勧学院(府指定文化財)などは、江戸期に律宗の学問所が設けられたときのもの。白鳳期の弥勒菩薩造(重要文化財)、鎌倉期の地蔵菩薩像(重要文化財)などの宝物がある。境内庭園のサザンカは、府の天然記念物に指定されている。
近鉄南大阪線 古市駅下車 野々上バス停下車 北へ約50m 野々上5丁目
壺井八幡宮
康平7年(1064)に源頼信の子、頼義が、石清水の神を私邸の東側にまつったのが始まり。頼義の子、義家(八幡太郎義家)が愛用したとされる「黒韋威胴丸(楯無しの鎧)」(重要文化財)や「天光丸の太刀」(重要美術品)がある。敷地内には、樹齢800年といわれる「クスノキ」(府の天然記念物)がそびえている。
近鉄南大阪線 上ノ太子駅下車 西へ約1.5q 壺井
応神陵古墳
墳丘長425m、後円部の径250m、前方部の幅330mで、幅60〜80mの濠を持つ。面積は仁徳陵についで全国第2位の巨大な前方後円墳。5世紀前半のもので、近くの倍冢からは「金銅製透彫鞍金具」(国宝)が出土し、現在、誉田八幡宮に収蔵されている。
近鉄南大阪線 道明寺駅下車 西へ約800m 誉田6丁目
西琳寺
7世紀前半、有力な渡来系氏族の西文氏が建立。当時は壮大な寺院だった。現在、境内には巨大な塔心礎が置かれている。また、当時建物の屋根を飾った鴟尾は装飾豊かで大変見事なもの。
近鉄南大阪線 古市駅下車 東へ約300m 古市2丁目
峯ヶ塚古墳
前方後円墳。墳丘長96m、後円部の径56m、前方部の幅75mで、二重の濠を持つ。5世紀末〜6世紀初頭に造られたとされている。後円部中央の石室からは、大刀や魚佩、珍しい花形飾り、三叉形垂れ飾りなどの豪華な副葬品がたくさん発見され、大王陵級の古墳の様子が明らかになった。
近鉄南大阪線 古市駅下車 西へ約800m 軽里2丁目
誉田八幡宮
571年、欽明天皇の詔勅で応神陵の後円部に設けられた日本最古といわれる八幡宮。現在の本殿、拝殿は、慶長11年(1606)に再建されたもの。収蔵庫には、源頼朝寄進の「塵地螺鈿金銅装神輿」など重要なものが数多く収められている。必見ものは9月15日の秋祭り。国宝の神輿が応神陵に渡御する「お渡り」の儀式が圧巻。
近鉄南大阪線 古市駅下車 北東へ約600m 誉田3丁目
源氏三代の墓
寛仁4年(1020)、河内国司に任ぜられた源頼信は、壺井に本邸を構えた。その子の頼義と孫の義家(八幡太郎義家)は前九年の役や後三年の役で活躍し、武将としての地位を確立した。鎌倉幕府を開いた源頼朝の先祖にあたるため、壺井は「(河内)源氏発祥の地」といわれている。頼義の墓は通法寺跡に、頼信と義家の墓は、付近の丘の上にある。
近鉄南大阪線 上ノ太子駅下車 南西へ約1.8q 通法寺
大黒寺
日本最古の大黒天出現の寺という伝承をもつ。天智4年(665)、役行者が金剛山で桜の木を刻んで大黒天を造り、小堂を建てて安置したのがはじまりといわれているが、天正年間(1573〜1591)に消失。享保19年(1734)に再興された。境内の鐘楼には、清朝時代の珍しい中国鐘がある。
近鉄南大阪線 駒ヶ谷駅下車 南西へ約400m 大黒
月読橋
飛鳥川が駒ヶ谷の集落に入り竹内街道と交差するところに架かる橋。その右岸、50mほど上流に石碑があり、新古今集の中の“あすか河 もみじ葉ながる葛城の 山の秋風 吹きぞしぬらし(人麿)”という歌が刻まれている。
近鉄南大阪線 駒ヶ谷駅下車 南東へ約400m 駒ヶ谷
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